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東京高等裁判所 平成9年(う)1325号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中九〇日を原判決の懲役刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人萱場健一郎作成の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

一  訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、関税法一〇五条に基づく税関職員の携帯品検査の権限は、入国及び通関手続を行う意思のない者に対しては及ばないから、上陸禁止処分を受けてシンガポール行きの航空機に乗るため待機中の被告人に対して税関職員が携帯品検査をしたのは違法であり、その結果得られた証拠には証拠能力がないのに、原審が右証拠を採用したのは判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反にあたるというのである。

しかしながら、関税法一〇五条一項一号に基づく税関職員の貨物検査の権限は、同法六七条に基づく貨物検査の権限が貨物の輸出又は輸入の申告に対し許可をするか否かを決定するために行使することが許されているのと異なり、税関職員が広く関税法又は関税定率法(但し、関税法における犯則事件の調査処分の規定を除く)の規定により職務を執行するため必要があるときに、必要と認められる範囲において、これを行使することが許されているものである。そして、税関職員は、これらの法律に基づき、輸入禁制品などの貨物が違法に輸入されることのないようにその予備行為を含めて監視し、その貨物が発見された場合には摘発、指導等の適切な措置を採る職務を執行しているのであるから、上陸禁止処分を受けた者を含め、貨物の所有者等が輸入禁制品を携帯しているか否かを確かめる必要がある場合には、必要と認められる範囲において、貨物を検査することが許されるものというべきである。そして、被告人の携帯品を検査した税関職員は、右の趣旨で被告人を任意に旅具検査場に同行した上、携帯品検査を実施したのであるから、右検査に違法な点はない。論旨は理由がない。

二  事実誤認の主張について

論旨は、被告人は、機内預託手荷物とした黒色スーツケースの中にのみ大麻樹脂が入っているものと誤認しており、自ら所持していた紺色小型スーツケースの中にも大麻樹脂が入っていることを知らなかったのであるから、その点についても故意を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというのである。

しかしながら、被告人は、スーツケースに隠匿された大麻樹脂を密輸入する意思でこれを本邦内に持ち込んだのであるから、それだけで密輸入の故意があったというべきであり、仮に二つのスーツケースの一方には大麻樹脂が隠匿されていないと誤信していたとしても、故意の成立を阻却するものではない。のみならず、たまたま飲食店で知り合ったハッサンから大麻の密輸入をもちかけられてこれを承諾し、自分が所持していた旅行バッグをハッサンに預けてかわりに両方のスーツケースを受け取り、日本の空港で両方ともハッサンの関係者に渡すことになっていたというのであるから、少なくとも紺色小型スーツケースの中にも大麻が存在することの未必的な認識はあったと認められる。論旨は理由がない。

三  法令適用の誤りの主張について

論旨は、関税法一〇九条の輸入禁制品輸入罪につき、関税空港において通関線である旅具検査場を通過する形態の輸入の場合には、旅具検査場で税関検査を受けようとして検査台に貨物を置く行為をした時点で初めて実行の着手があったとみるべきであるから、被告人には輸入禁制品輸入未遂罪は成立しないのに、原判決が、航空機から貨物を携帯したときは、貨物を携帯して航空機を降り立った時点で、また、航空機に機内預託手荷物として預けたときは、空港作業員によって貨物の取り降ろし作業が開始された時点でそれぞれ実行の着手があると解して被告人に輸入禁制品輸入未遂罪の成立を認めたのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りにあたるというのである。

そこで、検討するに、関係証拠によれば、本件の事実経過は以下のとおりと認められる。

被告人は、二個のスーツケースに隠匿された大麻を日本に密輸入しようと企て、シンガポールから日本に向かうノースウエスト航空機に搭乗する際、黒色スーツケースを機内預託手荷物とし、紺色小型スーツケースを自ら携帯した。右航空機が新東京国際空港に到着した後、黒色スーツケースは、空港作業員によって航空機から取り降ろされて旅具検査場内に運び込まれた。被告人は、紺色小型スーツケースを携帯して航空機を降りて上陸審査場に入り、入国管理官による審査及び特別審理官による口頭審理を受けたが、右審理官から、出入国管理及び難民認定法七条一項二号に掲げる条件に適合していない旨の通知を受け、法務大臣に対する不服申立てをしなかったので、直ちに本邦からの退去を命じられた。そして、その日にシンガポールに出発するノースウエスト航空機に搭乗するため待機していたが、税関職員の指示を受けた航空会社の職員に促されて旅具検査場に赴き、そこで黒色スーツケースを受け取り、携帯していた紺色小型スーツケースとともに税関職員による検査を受け、輸入禁制品は所持していないと答えたものの、その後のエックス線検査により両方のスーツケースの中に大麻を隠匿しているのを発見された。

ところで、関税法一〇九条の輸入とは、外国から本邦に到着した貨物を本邦に引き取ることをいうと定義されているところ(同法二条一項一号)、関税空港において通関線を通過する形態の輸入においては、空港内の通関線を突破した時点で同罪の既遂が成立すると解せられることに照らすと、輸入禁制品輸入罪の実行の着手時期は、通関線の突破に向けられた現実的危険性のある状態が生じた時点をいうものと解するのが相当である。そして、被告人は、大麻を隠匿した黒色スーツケースを空港作業員をして通関線である旅具検査場に搬出させ、また、大麻を隠匿した紺色小型スーツケースを自ら携帯して上陸審査場で審査を受け、その時点において、二つのスーツケースに大麻を隠匿していることを官憲に告げるなどして密輸入を断念することなく、上陸許可を受けた後、すぐ先の旅具検査場を大麻を隠匿したまま通過する意思であったのであるから、この時点においては、いずれの大麻についても通関線の突破に向けられた現実的危険性のある状態が生じていたものと認められる。

所論は、通関手続の前段階である上陸審査手続において上陸許可を受けない限り、当該貨物が通関線を突破する具体的危険は発生していないと主張するが、被告人は、適法な旅券を所持して査証の要らない短期滞在資格で本邦に上陸しようとしており、特段の事情のない限り上陸が許可されるのであるから、上陸許可の前であっても当該貨物が通関線を突破する具体的な危険は既に発生していたものと認められる。

また、所論は、所論のように解釈しないと関税法一〇九条の予備罪が成立する範囲が事実上ないことになると主張するが、所論の見解によらなくても実行の着手以前の予備行為は十分にあり得る。

そうすると、被告人に輸入禁制品輸入未遂罪の成立を認めた原判決に誤りはないことになる。論旨は理由がない。

四  量刑不当の主張について

論旨は、被告人を懲役四年六月及び罰金一〇〇万円に処した原判決の量刑は重すぎて不当であるというのである。

そこで、検討するに、被告人は、他の者から大麻の運び屋を頼まれて三〇〇〇米ドルの報酬を得る目的でこれを承諾し、大麻樹脂四五二七・三七グラムをシンガポールから空路本邦に密輸入した(関税法上の輸入禁制品の輸入については未遂)ものであり、大麻の量が多量である上、その手口も、スーツケースの底を二重にしてその中に大麻を隠匿するという巧妙なものであって、動機、規模、態様のいずれの点からみても、犯情は重い。

そうすると、幸いにも本件の大麻が税関職員により発見されて押収されたこと、被告人にはこれまで日本における前科、前歴がないこと、被告人が本件犯行を犯したことを真剣に反省していること等の被告人のために酌むべき事情を十分考慮してみても、原判決の量刑はやむを得ないところであって、これが重すぎて不当であるということはできない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中九〇日を原判決の懲役刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項ただし書により被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香城敏麿 裁判官 平谷正弘 裁判官 杉山愼治)

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